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源氏物語:桐壺 (中日对照)(三)

2006-06-01 14:24   我要纠错 | 打印 | 收藏 | | |

  それから若宮は、もう宮中にばかりおいでになることになった。七歳の時に書初(ふみはじ)めの式がおこなわれて学問をお始めになったが、皇子の類のない聰明さに帝はお驚きになることが多かった。

  「もうこの子をだれも憎むことができないでしょう。母親のないという点だけでもかわいがっておやりなさい」

  と帝はおいいになって、弘徽殿へ昼間おいでになるときもいっしょにおつれになったりして、そのまま御簾(みす)の中にまでもお入れになった。どんな強さ一方の武士だっても仇敵(きゅうてき)だっても、この人を見ては笑(え)みが自然に湧くであろうと思われる美しい少童(しょうどう)でおありになったから、女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫君をお二人お生みしていたが、その方々よりも第二の皇子の方がおきれいであった。姫宮方もお隠れにならないで賢い遊び相手としてお扱いになった。学問はもとより、音楽の才も豊(ゆた)かであった。いえば不自然に聞えるほどの天才児であった。

  その時分に高麗(こうらい)人が来朝した中に、じょうずな人相見の者がまじっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院(ていじのいん)のお誡(いまし)めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁(うだいべん)の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館(こうろかん)へおやりになった。

  相人(そうにん)は不審そうに頭をたびたび傾けた。

  「国の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。国家の柱石になって帝王の補佐をする人として見てもまた違うようです」

  といった。弁も漢学のよくできる官人であったから、筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。詩の贈答もして高麗人はもう日本の旅が終ろうとする期(ご)に臨(のぞ)んで珍しい高貴の相をもつ人に会ったことは、いまさらにこの国を離れがたくすることであるというような意味の作をした。若宮も送別の意味をお作りになったが、その詩をひじょうにほめて種々(いろいろ)なその国の贈物をしたりした。

  朝廷からも高麗の相人へ多くの下賜(かし)品があった。その評判から東宮の外戚の右大臣などは第二の皇子と高麗の相人との関係に疑いをもった。好遇された点が腑(ふ)に落ちないのである。聰明な帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、幸福な道を選ぼうとしておいでになった。それで、ほとんど同じことを占(うらな)った相人に価値をお認めになったのである。四品(ほん)以下の無品親王などで、心細い皇族としてこの子を置きたくない、自分の代もいつ終るかしれぬのであるから、将来にもっともたのもしい位置をこの子に設けておいてやらねばならぬ。臣下の列に入れて国家の柱石たらしめることがいちばんよいと、こうお決めになって、以前にもましていろいろの勉強をおさせになった。大きな天才らしい点のあらわれてくるのをごらんになると、人臣にするのが惜しいというお心になるのであったが、親王にすれば天子にかわろうとする野心をもつような疑いを当然受けそうにお思われになった。じょうずな運命占いをする者にお尋(たず)ねになっても同じような答申をするので、元服後は源姓をたまわって源氏の某(なにがし)としようとお決めになった。

  年月がたっても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみをお忘れになることができなかった。慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを後宮へ召されることもあったが、結果はこの世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないのであるという失望をお味わいになっただけである。そうしたころ、先帝(帝の従兄(いとこ)あるいは叔父(おじ)君)の第四の内親王でお美しいことをだれもいう方で、母君のお后(きさき)がだいじにしておいでになる方のことを、帝のおそばに奉仕している典侍(ないしのすけ)は先帝の宮廷にいた人で、后の宮へも親しく出入りしていて、内親王のご幼少時代をも知り、現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く得ていたから、帝へお話しした。

  「お亡(か)くれになりました御息所(みやすどころ)のご容貌に似た方を、三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございませんでしたのに、后の宮様の内親王様だけがあの方に似ていらっしゃいますことにはじめて気がつきました。ひじょうにお美しい方でございます」

  もしそんなことがあったらと大御心が動いて、先帝の后の宮へ姫宮のご入内のことを懇切にお申し入れになった。お后は、そんな恐ろしいこと、東宮のお母様の女御が並はずれな強い性格で、桐壺の更衣が露骨ないじめ方をされた例もあるのに、と思召して話はそのままになっていた。そのうちお后もお崩(かく)れになった。姫宮がお一人で暮しておいでになるのを帝はお聞きになって、「女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたい」

  と、なおも熱心に入内をお勧(すす)めになった。こうしておいでになって、母宮のことばかりを思っておいでになるよりは、宮中のご生活にお帰りになったら若いお心の慰みにもなろうと、おつきの女房やお世話係の者がいい、兄君の兵部卿(ひょうぶきょう)親王もその説にご賛成になって、それで先帝の第四の内親王は当帝の女御におなりになった。御殿は藤壺(ふじつぼ)である。典侍の話のとおりに、姫宮の容貌も身のおとりなしもふしぎなまで桐壺の更衣に似ておいでになった。この方はご身分に非の打ちどころがない。すべてごりっぱなものであって、だれも貶(おとし)める言葉を知らなかった。桐壺の更衣は身分とご寵愛とに比例のとれぬところがあった。お痛手が新女御の宮で癒(いや)されたともいえないであろうが、自然に昔は昔として忘れられていくようになり、帝にまた楽しいご生活が帰ってきた。あれほどのことも、やはり永久不変でありえない人間の恋であったのであろう。

  源氏の君(まだ源姓にはなっておられない皇子であるが、やがてそうおなりになる方であるから筆者はこう書く)はいつも帝のおそばをお離れしないのであるから、自然どの女御の御殿へもしたがって行く。帝がことにしばしばおいでになる御殿は藤壺であって、お供して源氏のしばしば行く御殿は藤壺である。宮もお慣れになって隠れてばかりはおいでにならなかった。どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はないのであるから、みなそれぞれの美をそなえた人たちであったが、もうみなだいぶ年がいっていた。その中へ若いお美しい藤壺の宮が出現されて、その方はひじょうにはずかしがって、なるべく顔を見せぬようにとなすっても、自然に源氏の君が見ることになる場合もあった。母の更衣は面影も覚えていないが、よく似ておいでになると典侍がいったので、子ども心に母に似た人として恋しく、いつも藤壺へ行きたくなって、あの方と親しくなりたいという望みが心にあった。帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。

  「彼を愛しておやりなさい。ふしぎなほど、あなたとこの子の母とは似ているのです。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の目つき顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを母と子と見てもよい気がします」

  など、帝がおとりなしなると、子ども心にも花や紅葉(もみじ)の美しい枝は、まずこの宮へさしあげたい、自分の好意を受けていただきたいというこんな態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の嫉妬の対象は藤壺の宮であったから、その方へ好意を寄せる源氏に、一時忘れられていた旧怨(きゅうえん)も再燃して憎しみをもつことになった。女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる幼内親王の美を遠く超(こ)えた源氏の美貌を、世間の人はいいあらわすために光君(ひかるのきみ)といった。女御として藤壺の宮のご寵愛が並びないものであったから対句のように作って、輝(かがや)く日(ひ)の宮と一方を申していた。

  源氏の君の美しい童形をいつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、いよいよ十二の歳に元服をおさせになることになった。その式の準備もなにも帝ご自身でお指図(さしず)になった。前に東宮のご元服の式を紫宸(ししん)殿であげられたときの派手(はで)やかさに落さず、その日、官人たちが各階級別々にさずかる響宴(きょうえん)の仕度を内蔵寮(くらりょう)、穀倉院(こくそういん)などでするのは、つまり公式の仕度で、それではじゅうぶんでないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。

  清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子(いす)がすえられ、元服される皇子の席、加冠役(かかんやく)の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳のところで輪にした童形の礼髪(れいはつ)を結(ゆ)った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿(おおくらきょう)である、美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。帝は御息所(みやすどころ)がこの式を見たならばと、昔をお思い出しになることによって堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。加冠が終って、いったん休息所(きゅうそくじょ)にさがり、そこで源氏は服をかえて庭上の拝をした。参列の諸員はみな小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。帝はましてご自制されがたいご感情があった。藤壺の宮をお得になって以来、まぎれておいでになることもあった昔の哀愁が今一度にお胸へ帰ってきたのである。まだ小さくて、おとなの頭の形になることは、その人の美を損じさせはしないかというご懸念(けねん)もおありになったのであるが、源氏の君には今驚かれるほどの新彩が加わって見えた。加冠の大臣には夫人の内親王とのあいだに生れた令嬢があった。東宮から後宮にとお望みになったのをお受けせずに、お返辞を躊躇(ちゅうちょ)していたのは、初めから源氏の君の配偶者に擬(ぎ)していたからである。大臣は帝のご意向をもうかがった。

  「それでは元服したのちの彼を世話する人も要(い)ることであるから、その人をいっしょにさせればよい」

  という仰せがあったから、大臣はその実現を期していた。

  今日の侍所(さむらいどころ)になっている座敷で開かれた酒宴に、親王方の次の席へ源氏はついた。娘の件を大臣がほのめかしても、きわめて若い源氏はなんとも返辞することができないのであった。帝のお居間の方から仰せによって内侍が大臣を呼びに来たので、大臣はすぐに御前へ行った。加冠郅趣筏皮蜗沦n品はおそばの命婦がとりついだ。白い大袿(おおうちぎ)に帝のお召料のお服が一襲(ひとかさね)で、これは昔から定まった品である。酒杯をたまわるときに、次の歌を仰せられた。

  いときなき初元結ひに長き世を契(ちぎ)る心は結びこめつや大臣の女(むすめ)との結婚にまでおいいおよぼしになった御製(ぎょせい)は大臣を驚かした。

  結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色しあせずばと返歌を奏上してから大臣は、清涼殿の正面の階段をさがって拝礼をした。左馬寮(さまりょう)のお馬と蔵人所(くろうどどころ)の鷹(たか)をその時にたまわった。そのあとで諸員が階前に出て、官等にしたがってそれぞれの下賜品を得た。この日のご響宴の席の折詰のお料理、籠(かご)詰めの菓子などは、みな右大弁がご命令によって作ったものであった。一般の官吏にたもう弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮のご元服のとき以上であった。

  その夜、源氏の君は左大臣家へ婿(むこ)になって行った。この儀式にも善美は尽されたのである。高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君の方がすこし年上であったから、年下の少年に配されたことを、不似合いにはずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力をもったうえに、姫君の母の夫人は帝の同胞(どうほう)であったから、あくまでもはなやかな家であるところへ、今度また帝のご愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢力は比較にならぬほど気押(けお)されていた。左大臣は何人かの妻妾から生れた子どもを幾人ももっていた。内親王腹のは今蔵人少将であって年少の美しい貴公子であるのを、左右大臣の仲はよくないのであるが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、だいじにしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君をたいせつがるのに劣らず、右大臣からだいじな婿君としてかしずかれていたのはよい一対(いっつい)の麗(うる)わしいことであった。

  源氏の君は帝がおそばを離しにくくあそばすので、ゆっくりと妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壺の宮の美が最上のものに思われて、あのような人を自分も妻にしたい、宮のような女性はもう一人とないであろう、左大臣の令嬢はだいじにされて育った美しい貴族の娘とだけはうなずかれるがと、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壺の宮のことばかりが恋しくて苦しいほどであった。元服後の源氏は、もう藤壺の御殿の御簾(みす)の中へは入れていただけなかった。琴や笛の音の中に、その方がおひきになるものの声を求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、せめてもの慰めになって、宮中の宿直(とのい)ばかりが好きだった。五六日御所にいて、二三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ少年期であるからと見て大臣はとがめようとも思わず、相も変らず婿君のかしずき騒ぎをしていた。新夫婦づきの女房は、ことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを催したり、一所懸命である。御所では母の更衣のもとの桐壺を源氏の宿直所(とのいどころ)にお与えになって、御息所(みやすどころ)に侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。更衣の家の方は修理の役所、内匠寮(たくみりょう)などへ帝がお命じになって、ひじょうにりっぱなものに改築されたのである。もとから築山(つきやま)のあるよい庭のついた家であったが、池なども今度はずっと広くされた。二条の院はこれである。源氏はこんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮すことができたらと思って、しじゅう嘆息をしていた。

  光の君という名は、前に鴻臚館(こうろかん)へ来た高麗(こうらい)人が、源氏の美貌と天才をほめてつけた名だと、そのころいわれたそうである。

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