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日语阅读:籠釣瓶9

2006-07-11 19:35   来源:岡本綺堂       我要纠错 | 打印 | 收藏 | | |

  九

  次郎左衛門を驚かしたのは、そのころ折りおりに行なわれる辻斬りであった。意趣(いしゅ)も遺恨(いこん)もない通りがかりの人間を斬り倒して、刀の斬れ味を試すという乱暴な侍のいたずらであった。一刀で斬り損じるか、もしくは相手が少し手ごわいと見れば、すぐに刃を引いて逃げるのが彼等の習いであった、次郎左衛門もそれを知っていた。

  「辻斬りか、栄之丞か」

  彼は立ち停まって考えた。しかし場合が場合だけに、彼は栄之丞を疑った。うわべは素直に何もかも承知しておいて、あとから付けて来ておれを闇撃(やみう)ちにする――どうもそれらしく思われてならなかった。

  もともと今夜の相談は自分の方が少し無理である。無理は自分も万々承知している。しかし無理ならば無理で、なぜ面とむかって不承知を言わない。おとなしそうな顔をして万事呑み込んでおきながら、暗い所でおれを亡(な)い者にしようとする。どう考えても面白くない奴だ。弱い奴だ、卑怯な奴だ、憎い奴だと、次郎左衛門は腹立たしくなった。

  「よし、これからもう一度引っ返して行って、あいつの素(そ)っ首を叩き落してやろう」

  彼はむらむら[#「むらむら」に傍点]として、ふた足三足行きかけたが又かんがえた。あんな意気地のない奴でも人ひとりを殺せば、こっちも罪をきなければならない。罪人になったら八橋にも、もう逢えまい。こう思うと彼の張り詰めた気もまたくじけた。忌々(いまいま)しいが我慢する方が無事であろう、打っちゃって置いたところで、あんな意気地なしがこの後なにをなし得るものでもないと、彼は多寡をくくって胸をさすった。

  真っ暗な枯れ田の上を雁が啼(な)いて通った。ここらへ来ると、夜風が真っ北から吹きおろして来て、次郎左衛門は顫(ふる)えあがるほど寒くなった。つい目の前の廓では二挺鼓(にちょうつづみ)の音が賑やかにきこえた。次郎左衛門はもう何も考えずに、まっすぐに吉原の方へむいて行った。

  いつもの通りに立花屋から送られて、彼は兵庫屋の客となった。その晩、座敷が引けてから次郎左衛門は八橋になにげなく訊いた。

  「栄之丞さんはこの頃ちっとも見えないのか」

  「ちっともたよりはありんせん」と、八橋は冷やかに答えた。

  「なぜだろう」

  「なぜか知りんせんが、あんな不実な人はどうなっても構いいせん」と、八橋はさらに罵(ののし)るように言った。

  親身の従弟(いとこ)と思えばこそ、自分もこれまでに随分面倒も見てやった。それにこの頃は何のたよりもしない、顔も見せない。あんな不人情な人はどうなっても構わない、一生逢わないでも構わないと、八橋はさもさも見限ったように言った。嘘とほんとうが半分ずつまじっているこの話を、次郎左衛門は一種の興味をもって聴いていた。

  それからだんだん捜(さぐ)りを入れて見ると、八橋はまったく栄之丞に愛想をつかしているらしく思われた。あんな不実な奴はどうなっても構わないと、本当に思っているらしかった。

  そこへ新造の浮橋が来て、今夜はどうして治六を連れて来ないかと訊いた。あいつは勘当したと次郎左衛門は正直に答えると、二人の女は黙って顔を見合せていた。治六の噂がいとぐちになって、又ぞろゆうべの身請けの話が出た。

  「三月になると国へ一度帰る。そうして、金を持って来るから待ってくれ」

  次郎左衛門もよんどころなしに一時のがれの嘘を言った。浮橋が出て行ったあとで、八橋は急に泣き出した。

  「堪忍しておくんなんし」

  今までお前を欺していたが、栄之丞は自分の従弟(いとこ)ではない、実は自分の情夫(おとこ)であるということを、八橋は泣いて白状した。いくらこっちでばかり親切を運んでも、むこうではなんとも思ってくれないで、この頃はなるたけ逃げようとしている。現に達者で雷門を歩いていながら、病気だといって廓へは寄り付かない。そんな不人情な男はわたしもすっぱりと思い切った。あきらめてしまった。さてそうなると、こうして廓にいてもなんの望みもない、楽しみもない、一日も早く苦界(くがい)をぬけたい。今のわたしが杖柱(つえはしら)と取りすがるのは、お前ばかりである。一つには不実な男の顔を見返すためと、二つには廓の苦を逃がれるために、どうぞわたしを請け出してくれと、彼女は繰り返して頼んだ。

  「今まで欺していたのが憎いと思いんすなら、請け出して三日でも女房にした上で、突くとも斬るとも勝手にしておくんなんし」

  彼女は次郎左衛門の前にからだを投げ出した。栄之丞のことはとうの昔から承知しているので、今この白状を聴いても次郎左衛門は別に驚きもしなかった。むしろ八橋の口からこの正直な白状を聴いたのをこころよく思った。よく白状してくれたと嬉しく思った。しかも悲しいことには、今の自分にはその願いを肯(き)き入れるだけの力がない。千両に足りない金で八橋のからだをどうすることも出来ないのは判り切っていた。

  「八橋も白状した。おれも男らしく白状しようか」

  相手が正直に何もかも白状した上は、自分も今の身の上を正直に白状すべきである。折角の頼みではあるが、今の次郎左衛門としてはお前をどうすることも出来ないと、彼は正直に打明けなければならないと思った。しかし彼は自分でも歯がゆいほどに男らしくなかった。女の前で宿なし同様の今の身分を明かすのは如何にも辛かった。彼の胸の底には、やはり佐野のお大尽で押し通していたいという果敢(はか)ない虚栄(みえ)があった。

  「治六がゆうべどんなことを言ったのだ」と、彼はまた捜りを入れた。

  あるいは無考えの治六めが今の境界をべらべらしゃべっているのではないかという不安もあった。八橋の口ぶりによると、治六もさすがにそんなことは口外しなかったらしく思われたので、次郎左衛門もまず安心したが、それにしても乗りかかった舟の楫(かじ)を右へも左へも向けることは出来なかった。彼はどこまでも嘘で押し通すよりほかはないので、苦しいながらも前の誓い――偽りの誓いをまた繰り返した。

  「さっきもいう通り、来年の三月には国へ帰って身請けの金を持って来る」

  「ほんとうざますか」

  「嘘はつかない」

  次郎左衛門は息が詰まるほどに苦しくなった。今までは八橋が自分をだましていたのであるが、今は自分が八橋をだましているのである。だまされている身よりも、だましている身の方がどのくらい切(せつ)ないか判らないと、彼はつくづく情けなくなった。彼は夜の明けないうちに逃げ出したくなって来た。

  八橋の方では容易に帰そうとはしなかった。彼女は全く栄之丞を見捨てた証拠だといって、掛守(かけまもり)の中から男の起請(きしょう)を出して見せた。

  「この通り、よく見ておくんなんし」

  彼女はその起請をずたずた[#「ずたずた」に傍点]に引き裂いて、行燈の火にあてると、紅い小さい焔がへらへら[#「へらへら」に傍点]と燃えあがった。彼女は更にその火を枕もとの手あぶりに投げ込むと、焔(ほのお)はぱっと大きく燃えて、見る見るうちに薄白い灰となった。

  恋の果てはこうしたものかと思うと、次郎左衛門はなんだか果敢ないような心持ちにもなった。それと同時に子供が蟻(あり)やみみずを踏み殺した時のような、一種の残忍な愉快と誇りを感じた。弱い栄之丞はおれの足の下に踏みにじられてしまったのだと思った。

  その灰の中から栄之丞の蒼白い顔が浮き出したかのように、八橋は眼を据えて煙りのゆくえをじっと見つめていた。彼女の顔も物凄いほどに蒼白かった。やがて彼女は次郎左衛門の方をしずかに見かえった。二人は黙ってほほえんだ。

  あくる朝、次郎左衛門が帰る時にも、八橋は茶屋まで送って来て、身請けのことをくれぐれも頼んだ。

  「ほんとうざますか」と、彼女はここでも念を押した。

  「嘘はつかない」と、次郎左衛門も同じ誓いをくりかえして別れた。

  仲の町には冬の霜が一面に白かった。次郎左衛門を乗せた駕籠が大門(おおもん)を出ると、枝ばかりの見返り柳が師走の朝風に痩せた影をふるわせていた。垂れをおろしている駕籠の中も寒かった。茶屋で一杯飲んだ朝酒ももう醒めて、次郎左衛門は幾たびか身ぶるいした。

  初めから相手に足らないやつとは思っていたが、それでも栄之丞を見事に蹴倒してしまったということは、次郎左衛門に言い知れぬ満足を与えた。ゆうべの闇撃(やみう)ち以来、にわかに栄之丞を憎むようになった彼に取っては、殊にそれがこころよく感じられた。八橋が栄之丞を見限ったということが嬉しかった。

  「八橋はもうおれの物ときまった」

  それに付けても、彼は八橋を欺(あざむ)いているのが気にかかった。いっそこれから廓へ引っ返して、自分が今の境遇をあからさまに打明けようかとも思ったが、彼はやはり臆病であった。いよいよどん底へ落ちるまでは、あくまでも嘘をつき通していたかった。その三月が来たらどうする。その三月が来るまでに、ふところの金がもう尽きてしまったらどうする。次郎左衛門は努めてそんなことを考えまいとしていた。

  栄之丞を弱いやつだと笑ったおれも、やっぱり弱い奴であった。栄之丞を卑怯な奴だと罵ったおれも、やっぱり卑怯者であった。そう思いながらも、彼は自分を自分でどうすることも出来なかった。歯がゆいような、情けないような、辛いような、こぐらかった思いに責められて、彼は一人でいらいら[#「いらいら」に傍点]していた。

  次郎左衛門はその後も八橋のところに入りびたっていた。暮れから春の七草までに彼は四百両あまりの金を振り撒いてしまった。どこまでも佐野のお大尽で押し通そうという見得(みえ)が手伝って、彼はむやみに金をつかった。自分の内幕を八橋に覚られまいという懸念から、彼はいつもよりも金づかいをあらくして見せた。ほかの客はみんな蹴散らされた。

  栄之丞は踏みつぶしてしまった。ほかの客は蹴散らしてしまった。次郎左衛門は今が得意の絶頂であった。彼は天下を取った将軍のようにも感じた。しかもその肚(はら)の底には抑え切れない寂しさがひしひしと迫って来た。

  芸妓や幇間(たいこ)が囃(はや)し立てて、兵庫屋の二階じゅうが崩れるような騒ぎのあいだにも、彼はときどきに涙ぐまれるほど寂しいことがあった。治六のことが思い出されたりした。元日から七草まで流連(いつづけ)をして、八日の午(ひる)頃に初めて馬喰町の宿へ帰ると、治六は帳場の前に坐って亭主と話していた。

  「旦那さま。おめでとうござります」

  治六はもとの主人の前にうやうやしく手をついた。

  「お帰んなさいまし」と、亭主も会釈した。

  それらを耳にも掛けないように、次郎左衛門は二階へすたすた[#「すたすた」に傍点]昇って行った。

  さすがに遊び疲れたような心持ちで次郎左衛門はぼんやりと角火鉢の前に坐ると、亭主は自分で土瓶(どびん)と茶碗とを運んで来た。

  「松の内もいいあんばいにお天気がつづきました」

  彼は手ずから茶をついで出した。それは治六が帰参の訴訟に来たものと次郎左衛門も直ぐにさとった。彼はわざと苦(にが)い顔をして黙っていると、果たして亭主はそれを言い出した。

  「治六さんもしきりに頼んでおります。わたくしも共どもにお詫びをいたしますから、どうか幾重にも御料簡を……」

  次郎左衛門は顔をそむけて聴かないふうをしていた。離れていると何だか寂しいようにも思いながら、顔を見ると彼はやっぱり治六が憎くてならなかった。

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